カテゴリ:回想( 8 )

懐かしい場所へ

仕事が早く終わったのである用事を済ませるためにいつもと違う道を通った。
とは言っても、そこは長い間仕事の行き帰りで通っていた道。
この道を通っていろんなところに出張レッスンに行った。
今からはとてもできないけど、当時ピアノ教室に所属していたので
言われる通りに家を回ってレッスンをしていた。
それも毎週。一ヶ月に約4回ほど各家庭回る。
レッスンしてはお茶をいただき、おしゃべりして、また次のお家へ。
まとめて数件行くので帰りは夜になった。

はじめて出張レッスンに行った時は車ではなく、バスだった。
なぜならば前任の先生がバスだったので引き継ぎで一緒にバスに乗った。
先生は一軒一軒私を連れて行ってくれたけど、22歳の私より年下だったと思うのだ。
そのお教室には数年お世話になったのだが、個性的な教室だった。
でも、電子オルガンを習うことができ、その時にクラシック以外で懐かしい外国の名曲を教えていただいたのが今役に立っている。

その頃によく通った道。広い道だが、気がついたことが2つある。
それは 全然変わってない部分と
すっかり変わってしまった部分。
それらが同居している。

そして、草が生えているところが多いこと。
流行っていて元気なところは草が生えていない。
人の気配もしなくなったところは草が、特にこの夏は伸び放題で、しかもこの暑さでなんとも言えない感じの色をしているのだ。

なんだ、別に普通のことじゃないかと思われるかもしれないけど
それだけ当時の風景が頭の中に焼き付いており、通っただけで当時との相違点を感じるって、人間の記憶力というものや脳はやっぱり面白い。
そして、それは20年以上前のことだから鮮明に脳に刻まれているのではないか?と思う。
残念ながら今から覚えることや観察力は多少ゆるくなっているに違いない。

そうなると、本当はもっともっと過去に出会った風景を見に行きたくなる。
そのすぐ近くを通ることがあっても、どうしてもその路地に足を踏み入れる勇気がないのである。
なぜならば、そんなに昔のことを追うようになってはいけない。人生の最終章に入ってしまうような、そんな思い込みがある。変だけどいつもそう思っている。
だから、小学校時代を過ごしたあのあたりと
もっと前の時期を過ごしたところを通るのは、もう少し先にしようと思っている。

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もう無くなってしまった空間には行けないんだなあ..........

by erisotto-voce | 2016-08-11 00:32 | 回想 | Comments(0)

コンコーネの日付

高校は私立の女子校で音楽科を受験した。ピアノ科だったが声楽のレッスンもきちんとあって、先生の大きな声にびっくりしながらレッスンを受けていた。
先生は男性だったのですが、とても厳しく、ある時期はコールユーブンゲンやソルフェージュなど、1つでも間違えたらレッスン終了!ということを言われた。
本当に終わるの?ほんのちょっとでも?とあまり本気にしてなかったけど
本当に間違えたらその場でレッスンはストップ。非情にも終わってしまうのです。
だから必死で間違えないように頑張ったと思う。今になって先生の気持ちがよくわかる。ありがたい心から思う。

その頃、コンコーネという練習曲集をしっかり歌っていて
もちろんそれは定期的なテストでも歌うし、入試でも課題曲になった。
私が受けた学科は教育音楽科だったので歌はコンコーネだった。

大人になって先生になって、個人レッスンでコンコーネを使うことも多いが
その曲を終了したら年月日をなんとなく書くようにしていたのでその日付が当然だが、目に入る。
もう三十数年前になるのだ。
じゃあ、いまそれらを上手に歌えるか?というとそうではない。
何度もまた一から練習していても(ピアノだとバッハのインベンションなどですね)
うまくいかないところもあるし、すんなりできるところもある。
でも、昔みたいにまっすぐで若い声は出なくなっている。高音も怪しい。かなり。

日付といえば、もっともっと前にさかのぼって
ピアノのブルグミュラーやバイエル、チェルニーになんとなく日付が入っている。
びっくりするのは
ブルグミュラーは一週間で一曲仕上がっていて、注意書きが何もないことだ。
先生は何も書かれなかった。そして丸だけしてくれた。
本当に弾けてたのか?
うーーん。ざっとは弾けてたかもしれないけど、ブルグミュラーって結構奥が深い。
その時にどの先生に教えてもらってたかは全然おぼえていない。
だから、大学に入ってからとった授業で作曲の先生がブルグミュラーを使ってアナリーゼをしてくださって、やっとちゃんと曲を理解できた感動をおぼえている。
そういえば、その頃にブルグミュラーなど、先生にほんの短いパッセージですらお手本を弾いてもらったことはないように思う。
今思うとちょっとこわいが、自由にのびのびとさせてもらったからいいのかもしれない。
昨今では、インターネットで先生を探してレッスンを受ける場合もあると思う。
自分で探して自分の目で耳で確かめてということだと思う。
それもありですね。

私のお教室にもインターネット経由で来てくださる方も増えていますが
必ず見学や体験をして納得してから入っていただけると嬉しい。
私だけではなく、教室の雰囲気も重要であるので是非とお勧めしてる。
また、それでもどうも合わない場合はよその先生のところをお勧めしている。
それほど音楽のレッスンはデリケート。メンタルな部分も大事に思う。

オヤスミナサイ



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8月中にまた行きたいな
SHOUSE
by erisotto-voce | 2016-08-09 01:47 | 回想 | Comments(0)
立川で学生時代を過ごした。
当時は新幹線で4時間半はかかったと思う。岡山から東京まで。
東京駅に着いたら中央線に乗り、立川目指してかなりの時間電車に乗り
立川からはバスか徒歩。
遠かった。

もちろん、今も距離というものは変わってない。日本が縮んだわけではなく、移動にかかる時間が随分短くなった。
だからあまり構えずに上京できる。
猫が家に来てからはあまり簡単にはどこへも行けなくなった。
それはちょっと辛いことだけど、猫のためなら仕方ないかな?と思うのだ。

品川あたりになるとぐーっと都会の風景がひろがるのは昔も今も変わらない。
ただ、用事のある場所によっては東京駅まで行かないで、品川で降りることが多くなった。

学生時代の家は、大家さんが住んでいる一軒家の敷地内にある離れだった。
寮に入る予定だったが、合格発表の日に、寮の抽選には落ちたことがわかった。
しめしめと、キャンセル待ちをしないでさっさと学校に張り出されていたこの物件を見に行って、即決めた。
決め手は安くて大家さんがいるから安心だったから。
まあ、これについては安心100パーセントではなかった。
今更言っても仕方ないので割愛します。
何かを我慢することや、なんとなくやり過ごすことをおぼえた頃だったし。

立川は今はとても都会になっているらしい。卒業してから、近くの田無市までは行く機会があったけど
立川へは行っていない。
私が好きだったのは学校に行く道よりもっと西側の方の道に出ると、米軍関係の土地があったように記憶していて、
道路の近くが、なんだか岡山とは違うし日本とも違うような感じがしたのだ。
その近くのカーブで一年の時に同級生がバイクで亡くなった。
そんなに親しくなかったけれど、受験前の講習会の個人レッスンで前後になり、言葉を交わした記憶があった。もう名前も何も覚えてないけれど
彼女の顔と、先生が彼女に「ウラジミール先生の?」と尋ねた声をおぼえている。
こうやって昔のことを書いていて、ふと思い出した。記憶って面白い。

立川はいいところだったけど、やっぱり原宿や渋谷に繰り出していった。
すごく時間がかかるので大遠征だった。
でも、そんなことは気にもならなかったのだ。
ある時はグループで。二人連れの時もあるし一人で行くこともよくあった。
お金もないのに、いろんなお店を見て回った。お金がないならないなりになんとかなった。
でも、今のように100円均一もない。
ユニクロもジーユーもない。
洋服の価格は今よりもずっと高かったと思う。

吉祥寺のパルコも好きだったけど、やっぱり渋谷パルコ。またはラフォーレ原宿。
お店のすみずみまで見て回り、お茶してはまた歩いてどこかのお店に入る。
原宿、渋谷、青山と。
一時期はサーフィンをしていたのでサーファーらしい格好をしていたが
基本的にはその時の流行を追っかけていた。
ハマトラ、ニュートラ、サーファー、テクノと。
デザイナーズブランドもその頃には素晴らしい洋服を生み出していた。
バーゲンはすごい人で、街が活気にあふれていた。
頑張れば何かになれる。街も人もぐんぐん上昇していくように勢いがあった。
私は貧しい学生だったけど、一生懸命おしゃれしてしっかり遊び、学び
後の30年田舎に帰っても後悔ないぐらい充実した学生時代を送った。
だから渋谷パルコの閉店はちょっと寂しい。青春とともにあったから。

あの頃は携帯電話もスマホもなかった。
もしもあの頃、こんなに簡単に写真をたくさん撮っていられたとしたら
どうなんだろう?
写真は残って楽しい。でも、写真がほとんどないから自分の目に焼き付けているから
いろんなシーンが頭の中で蘇るのではないかしら?
だとしたらすごく儲けたかもしれない!
自分の頭の中や心の中にある記憶のワンシーンがすごく愛おしい。

渋谷パルコありがとう!
その周辺の素敵なお店や風景もありがとう!

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by erisotto-voce | 2016-08-08 02:06 | 回想 | Comments(0)

フィルターをかける

画像にフィルターをかけるとはっきりしなくなるけれどふんわりとして好きです。
そういう好みなのでトレーシングペーパーが非常に好きです。
何かにトレーシングペーパーを載せるといい感じになりますよね。
トレーシングペーパーは幼い頃の憧れの紙でした。
マンガを写してみたり
写真を絵取ってみたり
何かを包んでみたり。
ガラスに元の絵を貼って光を当てながらなぞってみたりしませんでしたか?

そして、ちょっと気をつけないといけないけど

子供の頃はフルーツの汁で白い紙に絵や字を書き
それをストーブの上にかざしてあぶりだしました。

黒い紙と虫眼鏡を用意して、外で太陽の光を通して黒い紙をこげさせるようなこともしましたね。
直接太陽を見てはだめと、黒い下敷きで太陽を見たときのことや(赤だったかも)

磁石で外の砂から砂鉄を集めて、それをまた白い紙に乗せて下から磁石で踊らせてみたこと
そういう遊びは今はしないのかな?

小さい頃、科学の本を買ってもらって、付録を組み立てて外に置いてちょっと離れたすきに無くなってしまったことがあります。
ほんの一瞬でした。ちょっとショックでした。なぜか私が怒られてダブルショックな幼少の頃の想い出。

ニュースはやれ不倫だ結婚だをしつこく報道。
そして「なぜ逃げ無かったか」という全くナンセンスな憶測。
何事も当事者でないとわからないことというのはあります。
そっとしておいてあげるってことが大事。
くだらない報道が多すぎてがっかりします。ね。

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by erisotto-voce | 2016-04-02 19:32 | 回想 | Comments(0)

突然思い出したこと

さっきなんとなく学生時代のある日のことを思い出した

池袋から西武池袋線に乗り、ちょっと乗ったところに親戚の家があった。
貧乏学生の私は
そこはとても遠かったのだけど、
私鉄を使い、一見遠回りのようなたくさんの乗り換えを経て行くコースを発見。
国鉄(当時は国鉄と言いました)よりもかなりはやくて安く行けました。

足繁く通っていた。
本当に助かったのです。

食べるものがないとき
お金がないとき
着るものを縫ってほしいとき
踊りに行って立川までの終電がないとき
思いっきりやすみたいとき

自由気ままにさせてもらいました。

あるとき
ご飯食べに行こう。と伯母が誘うので
レストランに行きました。とても美味しいお店なのですが
さっきそのお店のことは思い出すのだけど
どうしても名前が出て来ないのです。

まだあるかな?あのお店....
もう三十年ぐらい経ってるのでわかりませんね。

セサミンじゃなくてセラヴィじゃなくて
なんだたかな?セがつくような気がするのだけど.....(セビアンでした)

自分がそのぐらいの年齢になったときにやっとわかることってありますね。
若いって素晴らしいけど
時に残酷。
そのときにちゃんと感謝を伝えられなくって
あとからやっとわかって.....

だから今はちゃんと伝える事をしないといけない。

伝えるにも気を配る気持ちと体力がいるような気がする。
体力はお金では買えないような気がする。
自分でコツコツと積み上げていくほかない。
加齢に逆らいながら。

もう本当に寝ますw

家族が渋谷で「少年アヤちゃん」さんのイベントに行ったらしく
昔、自分が遊んだ場所あたりに自分の家族が大きくなって行ってるのが不思議。

春にリケンの前を通ったのですが
あまりにもジェットコースターのようなことに驚いています。
天にも昇るようなことから地獄への道。
なんだか言葉がありません。
命まで.....巻き戻しできないかな.....
ほんとのほんとのことはどうなのだろうか?

by erisotto-voce | 2014-08-06 02:39 | 回想 | Comments(0)
昔を懐かしむこともあります

学生の頃によく利用した駅

立川駅と
玉川上水駅

昨夜はM田さんがそちらの方面に行かれたと、お写真をたくさん送って下さいました。

う〜〜〜〜〜〜
全然違うじゃないですか?
都会になってる..........
玉川上水駅がこんなに?え〜?

この駅は西武新宿線で、新宿から50分ほど乗ってやっと着くのです。
最終に乗る時に一緒に行った友達と甘栗を買い
お行儀悪いけど電車の中で食べたのを思い出しました。
新宿や六本木などに遊びに行っても、帰るのが大変。
演奏会もたくさん聴きに行きましたが、帰りの電車が心配。
あとからゆっくり食事をしながら演奏会の余韻に浸るというのが理想ですが
できない。
そして、寮の子がいたりすると、その子の門限(たしか演奏会があると少し延長できたとは思いますが)に間に合うように帰らないといけなくて
なんだかいつも駆け足w
でも、電車に乗ると長いのでのんびり〜w

たまに乗り遅れて
喫茶店で過ごし、夜が開けて始発が来るのを待ったりしました。
都会ですからそういうお店はいくつもあり、田舎育ちの私はびっくりしました。
観るもの聴くもの田舎とは違い、毎日ウキウキとした気持ちでした。
今はそこまで差はないと思いますが
それでも「今日、何か舞台を観たいな〜」と思ったら
いろんなところで毎日上演されていますよね。
それはこちらではできないことで、そういうところは都会のよさだと思います。

でも
私は岡山が好きなんですw
色々と言われることはありますが(岡山の人はつめたいとかなんとか)
こんな暮らしやすいところはないと思うし

桃!があればそれでいい!と思わせるような白桃
ぶどうもマスカットもすご〜く美味しい。
そして、後楽園が素晴らしい
まだまだいっぱいいいところはいっぱいある!

ということで
朝のシャワーいってきます

今日もいい一日になりますように♡
暑いので気をつけましょう

読んで下さるみなさまありがとうございます(まあ、そんなにいないでしょうけど)


by erisotto-voce | 2014-07-28 08:57 | 回想 | Comments(0)

セミの声で

目が覚めました

前に自宅の庭にケヤキの木があったときほどではないですが
やっぱり夏の朝はセミの声で目が覚めます

夏休みの子どもさんたちのラジオ体操がすぐ隣の整形外科さんの駐車場で6時半から行なわれているのですが
今年はまだ参加できていません。
ラジオ体操カードを入手しているので
明日こそ!と思います。

昨夜は寝苦しかったですね
朝はシャワーを浴びて洗髪しないととても出かけられません。

小学生の頃の夏休み
プールと合唱三昧の夏休み
もういつまで続くの?と思うほど
果てしない合唱の練習。
あの頃一緒に歌った人たちはどうしているのだろう
合唱を続けている人はきっと少ないかな?
でもそろそろ自分のやりたいことができる時間がうまれてくる年齢になってると思うので
ひょっとしたら。と思う
ピアノ伴奏も小学校3年生からさせてもらったけど
あのころは間違えるなんてことはなかった。
ひたすら練習して
コンークールなどでは自信を持って弾けたのだけどなあ....
大人になるとどんどんこわくなりますね。

22日の夏祭りわたしたちの音楽
生徒さんたちが大勢聴きにいらして下さったみたいで
どうもありがとうございました。

私の団のひとつは80代なかばの方、90にもうすぐの方なども数人参加して下さっていて
全員で出られて本当によかった!と思っています。
自分があと数十年経って、あの年齢に達したとき
果たしてステージに立てるだろうか?と思うと
大変なことだ!と思うのです。
そして、同じく80代で
友人のお母さんが他の団でヴァイオリンを弾いてました。
そのお母さんを囲んでのコンサートが8月2日のコンサートです。



by erisotto-voce | 2014-07-26 08:59 | 回想 | Comments(0)

これより前の日記は

ソットヴォーチェ 日々のこと

プチの方をごらんください

残しております(書き出しができないため、作業の時間がたくさんかかりますから完全に移行することをあきらめました)



by erisotto-voce | 2014-07-08 23:42 | 回想 | Comments(0)

ホームページは「吉井江里WIX」で検索してください。 岡山市で活動している吉井江里です♪ピアノを弾きながらの歌の講座や合唱指導、講演やライブ等の活動中。2015年3月18日完成の映画「見えないから見えたもの」(盲目の教師、竹内昌彦先生の映画)挿入歌「点字のラブレター」や「ワルツ」を作曲。


by erisotto-voce
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