カテゴリ:回想( 13 )

思い出は、、、、

昨夜遅くまで映画を観ていた。
先日田中泯さんの公演を観たのでもう一度「メゾンドヒミコ」を観直していたら
3時になってしまった。
まあ、いい。日曜が休みですもの。
お布団に入って即寝る。最近はすぐに眠れる。うれしい。

6時間弱寝たら目が覚めて
急いで本日の片付けノルマを遂行する。
今日は仏間兼クローゼットの部屋の押し入れの奥深く、上の段のそのまた上にある地袋の書籍の処分。
「吉川英治全集」だ。
重い、多い、という苦行になったがなんとか30数冊を上からおろして
車に乗せて走った。楽器用のカートも積んでいるので最強だ。
b0343646_23110062.jpg


この何万円かした全集は引き取りに最も嫌われるものだと思う。
だけど次の資源化物の回収の日まではかなりある。このまま置いておくわけにはいかない。
だからたとえ一冊が五円であろうと今日行くしかない。
それでまあ、それらの本とほかにもいろいろ出して
ランチのお金ぐらいにはなったので素直にランチへ直行した。

その本の入っている押し入れには私の青春の遺物が入っており
これをどうするか〜と考えていた。
私は当然捨てるつもりでいた。
でも、実際に手にすると捨てられない。これはだめだ、とっておこう、となった。
なんでしょうか?それは。

だから高齢者が捨てることに対して抵抗する気持ちがなんとなくわかってきた。
うーーん。いつかは捨てたい。でも、今はだめ!な感じが
手に取るようにわかった。

だからランチしながらなんとなくいろいろ考えて
まあ、花でも植えようということになり
新しい苗を買いに行った。
先日買ったのをおぼえていてくれた。
今日も彼にお任せした。
だいたいのイメージを伝える。
「朝は陽が当たり、午後からは当たらないところに植えたい」とか
「手入れが楽で虫がつきにくく丈夫なもの」(まあ、みんなそうでしょうね)とか伝えて
並べてみてもらう。
うん。イメージ通り。
b0343646_23115952.jpg

b0343646_23120136.jpg


思えば家族が種からまいて育てた多くの苗を12月から世話して
ビオラがずっと元気に咲いてくれた。
ある人は「きっとお父さん、亡くなってもお世話にきてると思うよ」と言われた。
そうかもしれない。未練があるだろうと思う。

アクシスナーフの中庭にお茶のできるお店もできていたので
ゆっくりと自家製ジンジャエールなどを飲む。
何を隠そう、つめたいものを外で飲むことはまずないが
きょうはそんな気分だった。
ゆっくりと語らい、風を感じてよい気分になって帰った。
すごく素敵なお店でいっぺんに好きになった。

さて、捨てられないものとは
、、、、、明日写真に撮ってみよう


by erisotto-voce | 2018-06-03 22:46 | 回想

喫茶東京閉店から三年

あれから三年

三年前の今日
喫茶東京さんが閉店されました。

まだ、どうして!という想いが残っています。

素晴らしい場所でお仕事をさせて頂いたこと
感謝しています。
また、それからもずっと禁酒会館に移りましても歌いにいらしてくださる皆様に心からありがとうと申し上げたいです。
b0343646_19543603.jpg




by erisotto-voce | 2018-04-30 08:20 | 回想

Die schöne Mullerin   F.Schubert

シューベルトの歌曲を聴くたびに、あの夏の合唱団の特訓を思い出す。
先生は毎日シューベルトの

Die schöne Mullerin F.Schubert  美しき水車小屋の娘 などのレコードをかけて下さった。一曲目の「さすらい」が特に耳に残っていて、一生懸命耳でおぼえて歌った。

もちろんドイツ語は難しいので母音などで歌った。
シューベルトの歌曲は本当にいい。
実はその時期は私は家ではジャズを聴いていた。
はじめて聴いたバッハはジャズだった。アレンジされたものから聴いたわけだ。
当時、お店をやっていたのでそこでオープンリールでかけられるジャズが当たり前だった。
いまだにそのオープンリールがまわっている様子、映像で自分の中に残っている。
幼児期や小学生〜中学生ぐらいに触れる音楽、芸術はとっても大事だ。
学校公演で演劇を観たときの熱狂も忘れられない。
大人になっても間に合うからいっぱい体験したいですね。

今日は午前はリビングカルチャーの歌声喫茶講座(禁酒会館)。←一月末からまた新クールで
講座受講を絶賛大募集中です。
午後は天満屋カルチャーのパーソナルレッスン。
どちらも充実したレッスンで、アドバイスしたことがすぐに反映でき、
気持ちよく稽古が進みました。
その後家族を拾ってあるところへ行き、帰ったら眠ってしまいました。
くたくたでした。でも心地よい〜〜〜〜
そして11時に起きて呆然としているところです。

片付けと支度を急がねば。そして夜中ですがうっすらと聴くのは

Die schöne Mullerin !


おやすみなさい

b0343646_00275863.jpg

by erisotto-voce | 2018-01-11 00:23 | 回想

年齢が上とか下とか関係ない

年齢が上とか下とか関係ない

昨夜、練習後に懇親会があり
その後も、数名を誘いBARで雑談。
楽しい1日になりました。

私が一番年上だが、年下のみなさんから学ぶことは多い。
それぞれの話を聞いていると立派だなぁ。それはわたしも見習いたい!と思う参考になることが。自然に身についているのがまたよいね。

ようするに年齢は関係ない。
と、わたしは思う。

年齢がどうであれ
感心しないなぁ、と思うシーンにも出くわす。
せっかくの比較的新しい出会いも
一瞬のうちに崩れてしまうこともある。
ちょっとだけ、言う前に一呼吸するといいかもしれない。
b0343646_19051040.jpg

最近気に入ってるコットン二種。
これは優秀。

by erisotto-voce | 2017-12-03 18:49 | 回想

あの日を忘れない。あの光景を忘れない。

あの日を、あの光景を忘れない、という思い出ってありますか?

私はいくつかありますが

池袋のサンシャインに泊まった時に
部屋の電気を消して、カーテンを開けたら
夜景が美しくて涙が出そうになったこと。
これがとても心に残った光景です。

子育ての時期でした。まだ小学校に上がるかどうかの時。
だから夜景なんて観ることはこの辺りではまずないし
自分の時間もない。

初めて両親に子供達を数泊みてもらって
ミュージカルや歌舞伎、その他を観るために上京しました。
その時に泊まったホテルがサンシャイン。
なんだかここしか空いてなかったのですが、駅から遠くてあ〜あ、と思った。

まあなんとかたどり着き、東急ハンズなんかにも行き、
数日間、しっかりと舞台に触れてきました。
それまでは独身の時には身軽に動けたのに、第一子を産んでから当分はそんな自由な時間は持てなくて。
それでも実家が近くだったし、この頃はもう実家の隣に住むようになったので
両親にはよく子供たちをみてもらって仕事をすることができました。

でも、一人旅なんてとんでもないこと。でもどうしても行きたくて。
そして母は「今じゃないとダメなの?」と言いましたが
「そう、今いかないとダメなの」と言い、旅に出ました。
それからは何度も勝手を許してもらっています。

時々夜景を観に
舞台を、美術館を、街を観に、レッスンや講習会でも
少し遠くへ行くことを楽しみにしています。

でもとにかくやっぱりあの時のホテルの窓からの眺めは忘れられない。
もちろんそれまでの旅の景色や思い出も心にありますが
やっぱりあの時かな。
心の支えになっている。
b0343646_23591059.jpeg




by erisotto-voce | 2017-11-28 23:59 | 回想

懐かしい場所へ

仕事が早く終わったのである用事を済ませるためにいつもと違う道を通った。
とは言っても、そこは長い間仕事の行き帰りで通っていた道。
この道を通っていろんなところに出張レッスンに行った。
今からはとてもできないけど、当時ピアノ教室に所属していたので
言われる通りに家を回ってレッスンをしていた。
それも毎週。一ヶ月に約4回ほど各家庭回る。
レッスンしてはお茶をいただき、おしゃべりして、また次のお家へ。
まとめて数件行くので帰りは夜になった。

はじめて出張レッスンに行った時は車ではなく、バスだった。
なぜならば前任の先生がバスだったので引き継ぎで一緒にバスに乗った。
先生は一軒一軒私を連れて行ってくれたけど、22歳の私より年下だったと思うのだ。
そのお教室には数年お世話になったのだが、個性的な教室だった。
でも、電子オルガンを習うことができ、その時にクラシック以外で懐かしい外国の名曲を教えていただいたのが今役に立っている。

その頃によく通った道。広い道だが、気がついたことが2つある。
それは 全然変わってない部分と
すっかり変わってしまった部分。
それらが同居している。

そして、草が生えているところが多いこと。
流行っていて元気なところは草が生えていない。
人の気配もしなくなったところは草が、特にこの夏は伸び放題で、しかもこの暑さでなんとも言えない感じの色をしているのだ。

なんだ、別に普通のことじゃないかと思われるかもしれないけど
それだけ当時の風景が頭の中に焼き付いており、通っただけで当時との相違点を感じるって、人間の記憶力というものや脳はやっぱり面白い。
そして、それは20年以上前のことだから鮮明に脳に刻まれているのではないか?と思う。
残念ながら今から覚えることや観察力は多少ゆるくなっているに違いない。

そうなると、本当はもっともっと過去に出会った風景を見に行きたくなる。
そのすぐ近くを通ることがあっても、どうしてもその路地に足を踏み入れる勇気がないのである。
なぜならば、そんなに昔のことを追うようになってはいけない。人生の最終章に入ってしまうような、そんな思い込みがある。変だけどいつもそう思っている。
だから、小学校時代を過ごしたあのあたりと
もっと前の時期を過ごしたところを通るのは、もう少し先にしようと思っている。

b0343646_00083695.jpeg
もう無くなってしまった空間には行けないんだなあ..........

by erisotto-voce | 2016-08-11 00:32 | 回想

コンコーネの日付

高校は私立の女子校で音楽科を受験した。ピアノ科だったが声楽のレッスンもきちんとあって、先生の大きな声にびっくりしながらレッスンを受けていた。
先生は男性だったのですが、とても厳しく、ある時期はコールユーブンゲンやソルフェージュなど、1つでも間違えたらレッスン終了!ということを言われた。
本当に終わるの?ほんのちょっとでも?とあまり本気にしてなかったけど
本当に間違えたらその場でレッスンはストップ。非情にも終わってしまうのです。
だから必死で間違えないように頑張ったと思う。今になって先生の気持ちがよくわかる。ありがたい心から思う。

その頃、コンコーネという練習曲集をしっかり歌っていて
もちろんそれは定期的なテストでも歌うし、入試でも課題曲になった。
私が受けた学科は教育音楽科だったので歌はコンコーネだった。

大人になって先生になって、個人レッスンでコンコーネを使うことも多いが
その曲を終了したら年月日をなんとなく書くようにしていたのでその日付が当然だが、目に入る。
もう三十数年前になるのだ。
じゃあ、いまそれらを上手に歌えるか?というとそうではない。
何度もまた一から練習していても(ピアノだとバッハのインベンションなどですね)
うまくいかないところもあるし、すんなりできるところもある。
でも、昔みたいにまっすぐで若い声は出なくなっている。高音も怪しい。かなり。

日付といえば、もっともっと前にさかのぼって
ピアノのブルグミュラーやバイエル、チェルニーになんとなく日付が入っている。
びっくりするのは
ブルグミュラーは一週間で一曲仕上がっていて、注意書きが何もないことだ。
先生は何も書かれなかった。そして丸だけしてくれた。
本当に弾けてたのか?
うーーん。ざっとは弾けてたかもしれないけど、ブルグミュラーって結構奥が深い。
その時にどの先生に教えてもらってたかは全然おぼえていない。
だから、大学に入ってからとった授業で作曲の先生がブルグミュラーを使ってアナリーゼをしてくださって、やっとちゃんと曲を理解できた感動をおぼえている。
そういえば、その頃にブルグミュラーなど、先生にほんの短いパッセージですらお手本を弾いてもらったことはないように思う。
今思うとちょっとこわいが、自由にのびのびとさせてもらったからいいのかもしれない。
昨今では、インターネットで先生を探してレッスンを受ける場合もあると思う。
自分で探して自分の目で耳で確かめてということだと思う。
それもありですね。

私のお教室にもインターネット経由で来てくださる方も増えていますが
必ず見学や体験をして納得してから入っていただけると嬉しい。
私だけではなく、教室の雰囲気も重要であるので是非とお勧めしてる。
また、それでもどうも合わない場合はよその先生のところをお勧めしている。
それほど音楽のレッスンはデリケート。メンタルな部分も大事に思う。

オヤスミナサイ



b0343646_02142509.jpg

8月中にまた行きたいな
SHOUSE
by erisotto-voce | 2016-08-09 01:47 | 回想

渋谷パルコとラフォーレ原宿

立川で学生時代を過ごした。
当時は新幹線で4時間半はかかったと思う。岡山から東京まで。
東京駅に着いたら中央線に乗り、立川目指してかなりの時間電車に乗り
立川からはバスか徒歩。
遠かった。

もちろん、今も距離というものは変わってない。日本が縮んだわけではなく、移動にかかる時間が随分短くなった。
だからあまり構えずに上京できる。
猫が家に来てからはあまり簡単にはどこへも行けなくなった。
それはちょっと辛いことだけど、猫のためなら仕方ないかな?と思うのだ。

品川あたりになるとぐーっと都会の風景がひろがるのは昔も今も変わらない。
ただ、用事のある場所によっては東京駅まで行かないで、品川で降りることが多くなった。

学生時代の家は、大家さんが住んでいる一軒家の敷地内にある離れだった。
寮に入る予定だったが、合格発表の日に、寮の抽選には落ちたことがわかった。
しめしめと、キャンセル待ちをしないでさっさと学校に張り出されていたこの物件を見に行って、即決めた。
決め手は安くて大家さんがいるから安心だったから。
まあ、これについては安心100パーセントではなかった。
今更言っても仕方ないので割愛します。
何かを我慢することや、なんとなくやり過ごすことをおぼえた頃だったし。

立川は今はとても都会になっているらしい。卒業してから、近くの田無市までは行く機会があったけど
立川へは行っていない。
私が好きだったのは学校に行く道よりもっと西側の方の道に出ると、米軍関係の土地があったように記憶していて、
道路の近くが、なんだか岡山とは違うし日本とも違うような感じがしたのだ。
その近くのカーブで一年の時に同級生がバイクで亡くなった。
そんなに親しくなかったけれど、受験前の講習会の個人レッスンで前後になり、言葉を交わした記憶があった。もう名前も何も覚えてないけれど
彼女の顔と、先生が彼女に「ウラジミール先生の?」と尋ねた声をおぼえている。
こうやって昔のことを書いていて、ふと思い出した。記憶って面白い。

立川はいいところだったけど、やっぱり原宿や渋谷に繰り出していった。
すごく時間がかかるので大遠征だった。
でも、そんなことは気にもならなかったのだ。
ある時はグループで。二人連れの時もあるし一人で行くこともよくあった。
お金もないのに、いろんなお店を見て回った。お金がないならないなりになんとかなった。
でも、今のように100円均一もない。
ユニクロもジーユーもない。
洋服の価格は今よりもずっと高かったと思う。

吉祥寺のパルコも好きだったけど、やっぱり渋谷パルコ。またはラフォーレ原宿。
お店のすみずみまで見て回り、お茶してはまた歩いてどこかのお店に入る。
原宿、渋谷、青山と。
一時期はサーフィンをしていたのでサーファーらしい格好をしていたが
基本的にはその時の流行を追っかけていた。
ハマトラ、ニュートラ、サーファー、テクノと。
デザイナーズブランドもその頃には素晴らしい洋服を生み出していた。
バーゲンはすごい人で、街が活気にあふれていた。
頑張れば何かになれる。街も人もぐんぐん上昇していくように勢いがあった。
私は貧しい学生だったけど、一生懸命おしゃれしてしっかり遊び、学び
後の30年田舎に帰っても後悔ないぐらい充実した学生時代を送った。
だから渋谷パルコの閉店はちょっと寂しい。青春とともにあったから。

あの頃は携帯電話もスマホもなかった。
もしもあの頃、こんなに簡単に写真をたくさん撮っていられたとしたら
どうなんだろう?
写真は残って楽しい。でも、写真がほとんどないから自分の目に焼き付けているから
いろんなシーンが頭の中で蘇るのではないかしら?
だとしたらすごく儲けたかもしれない!
自分の頭の中や心の中にある記憶のワンシーンがすごく愛おしい。

渋谷パルコありがとう!
その周辺の素敵なお店や風景もありがとう!

b0343646_02134009.jpeg


by erisotto-voce | 2016-08-08 02:06 | 回想

フィルターをかける

画像にフィルターをかけるとはっきりしなくなるけれどふんわりとして好きです。
そういう好みなのでトレーシングペーパーが非常に好きです。
何かにトレーシングペーパーを載せるといい感じになりますよね。
トレーシングペーパーは幼い頃の憧れの紙でした。
マンガを写してみたり
写真を絵取ってみたり
何かを包んでみたり。
ガラスに元の絵を貼って光を当てながらなぞってみたりしませんでしたか?

そして、ちょっと気をつけないといけないけど

子供の頃はフルーツの汁で白い紙に絵や字を書き
それをストーブの上にかざしてあぶりだしました。

黒い紙と虫眼鏡を用意して、外で太陽の光を通して黒い紙をこげさせるようなこともしましたね。
直接太陽を見てはだめと、黒い下敷きで太陽を見たときのことや(赤だったかも)

磁石で外の砂から砂鉄を集めて、それをまた白い紙に乗せて下から磁石で踊らせてみたこと
そういう遊びは今はしないのかな?

小さい頃、科学の本を買ってもらって、付録を組み立てて外に置いてちょっと離れたすきに無くなってしまったことがあります。
ほんの一瞬でした。ちょっとショックでした。なぜか私が怒られてダブルショックな幼少の頃の想い出。

ニュースはやれ不倫だ結婚だをしつこく報道。
そして「なぜ逃げ無かったか」という全くナンセンスな憶測。
何事も当事者でないとわからないことというのはあります。
そっとしておいてあげるってことが大事。
くだらない報道が多すぎてがっかりします。ね。

b0343646_19314832.jpg


by erisotto-voce | 2016-04-02 19:32 | 回想

突然思い出したこと

さっきなんとなく学生時代のある日のことを思い出した

池袋から西武池袋線に乗り、ちょっと乗ったところに親戚の家があった。
貧乏学生の私は
そこはとても遠かったのだけど、
私鉄を使い、一見遠回りのようなたくさんの乗り換えを経て行くコースを発見。
国鉄(当時は国鉄と言いました)よりもかなりはやくて安く行けました。

足繁く通っていた。
本当に助かったのです。

食べるものがないとき
お金がないとき
着るものを縫ってほしいとき
踊りに行って立川までの終電がないとき
思いっきりやすみたいとき

自由気ままにさせてもらいました。

あるとき
ご飯食べに行こう。と伯母が誘うので
レストランに行きました。とても美味しいお店なのですが
さっきそのお店のことは思い出すのだけど
どうしても名前が出て来ないのです。

まだあるかな?あのお店....
もう三十年ぐらい経ってるのでわかりませんね。

セサミンじゃなくてセラヴィじゃなくて
なんだたかな?セがつくような気がするのだけど.....(セビアンでした)

自分がそのぐらいの年齢になったときにやっとわかることってありますね。
若いって素晴らしいけど
時に残酷。
そのときにちゃんと感謝を伝えられなくって
あとからやっとわかって.....

だから今はちゃんと伝える事をしないといけない。

伝えるにも気を配る気持ちと体力がいるような気がする。
体力はお金では買えないような気がする。
自分でコツコツと積み上げていくほかない。
加齢に逆らいながら。

もう本当に寝ますw

家族が渋谷で「少年アヤちゃん」さんのイベントに行ったらしく
昔、自分が遊んだ場所あたりに自分の家族が大きくなって行ってるのが不思議。

春にリケンの前を通ったのですが
あまりにもジェットコースターのようなことに驚いています。
天にも昇るようなことから地獄への道。
なんだか言葉がありません。
命まで.....巻き戻しできないかな.....
ほんとのほんとのことはどうなのだろうか?

by erisotto-voce | 2014-08-06 02:39 | 回想

ホームページは「吉井江里WIX」で検索してください。 岡山市で活動している吉井江里です♪ピアノを弾きながらの歌の講座や合唱指導、講演やライブ等の活動中。2015年3月18日完成の映画「見えないから見えたもの」(盲目の教師、竹内昌彦先生の映画)挿入歌「点字のラブレター」や「ワルツ」を作曲。


by erisotto-voce
プロフィールを見る
画像一覧
通知を受け取る